鈴鹿サーキット誕生にも本田宗一郎氏らしい逸話が^^
こんにちは!
sorairoです。
昨日、ホンダ本社青山ビル外壁が凸凹している理由について本田宗一郎氏らしい素敵なエピソードがあることについて書きましたが、
TwitterのレスでBimeiさんから鈴鹿サーキットの誕生秘話も面白いですよって教えていただきましたので調べてみました^^
鈴鹿サーキットの誕生秘話も面白くて、ますます好きになりますよ😉👍✨
— Bimei (@bimei3517) 2019年5月6日
Hondaの公式ホームページによると、
「俺はレースをやるところが欲しいんだ。クルマはレースをやらなくては良くならない」。
1959年末、鈴鹿製作所の厚生施設を建設する提案会議の場で社長の本田宗一郎から発せられた言葉が、日本初の本格的なロードサーキット誕生の源となった。..
と、クルマはレースをすることによって良くなるという意思のもと鈴鹿サーキットは作られたそうです。
ホンダはF1などのモーターレースに力をいれているのもこの本多宗一郎氏のスピリットを守り続けているんでしょうね。
一時期HONDAがF1から撤退して寂しく思っていましたが、復活後苦労しながらも現在は好調で存在感を示しており嬉しいです。
話は鈴鹿サーキット開発に戻りますが、
レーシングコースの当初の計画地は現在のコースよりも北東の方角にあり、
浄土池と呼ばれる調整池の周りを走る1周約4kmのコースが計画されていたが、その周りには水田が広がっていたそうです。
そんな中
本田宗一郎は
「大切な米をつくる田んぼをつぶしてはいけない」
との指示で
荒れ果てた山林だった現在の場所に建設計画を変更させたという逸話があるそうです。
これにより鈴鹿サーキットは独特の形状のレイアウトとになりより面白いレースが見られるようになったのですからなんかすごいですよね^^
これもまたホッコリとする逸話ですね^^
それでは、また!
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